無理せずできる語学留学
Ect(マンハッタン・プロジェクト)でアメリカが第2次世界大戦中に原爆の開発に成功し、戦後ソ連がその後を追って以来、人類には米ソ核戦争の危機が常につきまとっていた。
スエズ危機、朝鮮戦争、ベトナム戦争には、核使用が検討されたと伝えられている。
とくに1956年のスエズ危機の時にはアメリカ空軍の中で特殊任務を与えられていた戦略空軍司令部(SACStrategicAirCommand)のパイロットが英国の基地で戦闘機に核爆弾を積んで、でるかもしれない最終命令を待っていた、とタイム誌の特集TheDoomsday原爆開発のManhattanprojectPlan(August10,1992)は伝えている。
deterrent(抑止力)が効いたのか、人類の良識が勝ったのか、幸いにも核戦争によるdoomsdayは冷戦中にはこなかったが、多くの国ではそうした時に備えた作戦が密かに作成されていた。
とりわけアメリカは一方の核超大国であり、常に攻撃の危険にさらされていたから、実に綿密な計画が練られていたことが冷戦後、明るみにでている。
1992年5月、W紙の日曜日の付録雑誌TheWashingtonPostMagazineは、ウェスト・パージニア州ホワイトサルファー・スプリングスに1960年ごろ、上下両院の議員とその家族を収容できる防空壕が1400万ドルの費用をかけてつくられていた、と報じた。
ここにはいくつかの「議事堂」も用意されているという。
万ーの時の避難計画の是非よりは、議員だけになぜこのような特権が与えられなければならないか、という点にアメリカ市民の関心が向けられたが、こうした避難場所はここだけでない。
大統領周としてキャンプ・デーピッドの北、軍首脳・政府高官用としてパージニア州にもこうした施設が存在することがすでに明らかになっている。
実際に核攻撃があった場合、政府の機能を失わせないようにするには、どのような計画が実行に移されることになっていたのだろうか。
NuclearLanguageの項でもふれたように、核攻撃という恐ろしい事態を想定する場合には、生々しいdoomsdayというような不吉な言葉は使わない。
COG(continuityofgovernment)というさりげない表現が好まれる。
「政府の継続性」、つまり最後の日が来るような核攻撃の場合でもアメリカ政府が存在し続けるようにしておくという意味である。
万一の時がくると、OutpostMission(前哨基地への移動特命)計画が発動される。
これに従事する部隊は近くの基地からホワイトハウスに駆けつけ大統領とその家族を救いだす。
場合によっては地下濠に大統領が閉じ込められることもあるから、クレーンの用意もされていた。
海兵隊の大統領専用ヘリコプターMarineOneで救出された大統領らはC・D北の頑丈な避難場所に移るか、あるいは状況がさらに悪いとNEACP、ニーキャップと発音し「国家緊急時空中司令所」の意味)と呼ぶ飛行機に乗る。
これが空飛ぶホワイトハウスとなって、ここから戦時下の指令がだされることになっていた。
NEACPはボーイング747改造のハイテク通信施設を備えた特別機で4機用意され、l機は常に空中で待機していたのだそうだ。
これとは別にボーイング707を改造し、SAC(戦略空軍司令部)の将軍が乗り組んでいるLookingGlass(ルッキング・グラス、姿見)という別称をもつ非常の際の司令機も常時空中待機していたが、こちらのほうは国際情勢の変化にともなって1990年7月には地上待機に変わった。
冷戦がもっとも激しかった1960年代、米国の市民は核(核シェルター)を自宅の地下につくったり、学校では防空演習がカリキュラムに組まれていたことがあった。
しかし、そういうことをしても無駄だという声もあって、次第にその熱は冷めていった。
民間防衛が完壁すぎると米ソの核抑止が効かなくなるという核戦略専門家の考えも反映していたのではないかと思う。
その後はCOGが緊急時対策の中心となり、そこではcommand,control,communications(司令、管理、コミュニケーション)から成るC3が重視され、いかに非常事態下で政府の統制を保つかが最大の関心事となった。
しかし1950年代に、A大統領自らも参加した演習では、大統領らを乗せた特別車が、ブタを満載したトラックに行く手を阻まれるという、喜劇映画にでもでてきそうなハプニングがあって、大統領も大笑いしてしまったという。
どれほど万全に準備していても、それがどれだけ効果的に機能するのかは、神のみぞ知る、であろう。
ソ連のほうも、地下130m、縦横2km,秘密の地下鉄も備えた地下大都市をモスクワにつくっていたが、今は放置されたままだという。
米国では1994年になってDoomsdayPlanは棚上げされている。
諜報(スパイの世界)地球を回るスパイ衛星(フランスのへリオス),1995年。
(ロイター・サン)Company(Langley)ワシントンとパージニア州を隔てるポトマック川のパージニア側を北に、公園のなかの道路のように美しいジョージ・ワシントン・パークウェーをドライブしてしばらくすると、Langley(ラングレー)という小さなコミュニティがある。
林のなかの自動車道路だから、車からはまったく見えないが、この林のなかにあのCIA(CentralIntelligenceAgency米国中央情報局)の本部が隠れている。
道路沿いにもCIAと記した道案内の標識があったが、今では取り払われているようだ。
この土地の名から、CIAはまたLangleyとも呼ばれることがある。
旧ソ連のKGB(国家保安委員会)が、その本部のある地名をとってLubyanka(ルビヤンカ)といわれていたのと同じである。
しかしCIAの職員は、CIAのことをただCompanyと呼ぶことが多いという。
日本の官僚が自分の勤める省のことを「わが社」と呼ぶのと一脈あい通じている。
しかし、TheDictionaryofEspionage(スパイ語辞典)という辞書によると、このCompanyには定冠詞theはつけないのだそうだ。
Companyという言葉を固有名詞として扱っているということなのだろう。
スパイの世界もまた、特殊な用語が多い。
この世界でneutralizeという言葉を聞き「中和させる、中立化させる」などと訳していては落第。
これは「殺す、ダメにしてしまう」という意味になる。
dispatchも「手っ取り早く殺す」ことなのである。
CIAは1942年6月13日に設立されたOSS(OfficeofStrategicService戦略作戦局)を前身としている。
真珠湾攻撃をうけた後、時のF大統領は、いろんな政府組織がそれぞれに行っている諜報活動を一元化させる必要があると考え、その指示に基づきニューヨークの弁護士Wが考えたのがOSSであった。
戦争が終わっていったんOSSは解散したが、T大統領のころ、冷戦激化を背景にやはり一元的諜報機関が不可欠との判断から、国家安全保障法により1947年9月18日にCIAが発足した。
ラングレーの本部ができたのは1961年のことである。
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